酒井先生
 卒業生で、「酒井先生」という名前を聞いてピンとくる人はきっと少ないだろう。私が 江南高校に在籍していたのは、たった4年間だった。そんな私に寄稿する機会が与えられるとは、素直にうれしい。
 江南高校は、私が正式採用されて赴任した最初の学校である。本当に充実した毎日で、学校へ行くのが楽しかった。通勤時間こそ長かったが、さして苦にはならなかった。あのときの記憶は、つい昨日のことのように思い出される。関わったどの学年も印象に残っていて、本当に幸せな日々だった。卒業生諸君、楽しかったよ。

 私は、中学生のころ、いつも遊んでいて勉強などほとんどやらなかった。進学した高校では、やはりというか、中学時代に勉強面で落ちこぼれた者が多く、ほかの学校生活全般についてもやる気をなくしていた。もちろん、私自身、勉強に関しては再起をかけて結構取り組んだと思うが、それ以外は……。とにかく、何となく高校へ行って、何となく卒業した、という感じで、高校生活についても余り印象には残っていない。
 だからこそ、江南高校へ赴任し、人なつっこく前向きな生徒と出会ったときは、こんな高校生もいるのかと少し感激した。そして、授業はいささか緊張した。みんな、前を向いてこちらの話を聴いているのだから。当たり前といえば当たり前なのだが、以前、非常勤講師をしていた母校ではそれすらできていなかったのである。それにしても、中学生の時オール3すら危うかった私が、自分より成績が上の生徒を教えることになるとは夢にも思わなかった。

 さて、先日、江南での教え子のI君が学校を訪ねてきた。母校へ顔を見せに来る卒業生は多いが、転勤先まで訪ねてきたというのは初めてであった。彼は、私と同じ大学・同じ学部・同じ学科へ進学し、私と同じ考古学を専攻していた。教師にとってこんなうれしい話はない。アカデミズムから遠ざかって久しい私は、考古学の話ができることに何ともいえない心の高揚を覚えた。実は、最近、近現代考古学に関心を寄せているのだが、久しぶりに、考古学研究へ首を突っ込んでみたいなと思った。そんな気にさせてくれた彼に感謝。
 それにしても思う。人は様々なところでつながっているんだなあ、と。「守山高校の酒井です」とあいさつすると、「私の○○は守山高校の出身なんです」という反応のかえってくることがたびたびあった。「実は、私も母校なんです」と返答するのだが、こうなると、まったく見ず知らずであっても何だか親近感が湧くのだから不思議だ。私は、愛校心は強制するものではないし、されるものではないという信念を持っているが、でも、同窓の縁を大切にしたいという思いも一方である。最近、おりにふれて人間関係の大切さを感じることが多い。これからも、ひとつひとつの出会いを大切にしたいと思う。

同窓生のご活躍を期待しております。